2015年1月14日水曜日

オーシャンゼリゼ

新たに風刺画を掲載した新聞社について批判的な意見をたくさん見たけど、他人の表現にそんなにグラグラしちゃうものなのか信仰って。
見なきゃいいよね。
僕らの、小さな世間で生きる感覚とは違いそう。神と対峙してるんだよ。

もちろんイスラム教徒ならいい気持ちはしないだろうけど、街を歩いて人と話して、いつでも爽やかにはいられないもの。
あの新聞社はキリスト教批判もしていたらしい。彼らが宗教のない世界を望んでいるとして、反対にイスラム教徒がどんなに布教活動しようと、それも表現の自由で許されているわけだ。新聞社の行為がおかしいと思わない。

それでテロをしてくる過激派とかいうやつらは狂人だから。なにか理由をつけて殺すよ、どっちにしろ。誰かを傷つけて自分を感じたいんだ。
人間ってそういうところがある。
またやるよ。

実際、フランスのテロばかり注目されてるけど、いろんなとこでずっと殺し続けてるから。
北朝鮮の強制収容所や中国共産党のチベット虐殺も同じ。日本の犯罪者も同じ。

彼らには他者は見えていないのだから。