2015年1月26日月曜日

1月26日

善悪は分からない。
正義はない、正義はないって当たり前の話だ。無宗教なんだから。

それでもなにか指針が欲しくて、生きる大義が欲しくて、湧き上がる感情や降ってくる喜びに期待しながら日々を過ごす。
どうしてもこれは正しいんじゃないかって思うことはトラウマと繋がっていたりする。譲れないものが絡むと周りが見えなくなって独裁的にもなる。それで、後から振り返って考えるとああ、ただのセンチメンタルだったな、となる。

愛に形はないので、普段求めていてもほとんどぼんやりとしていて、見えなくなっている。時々「これが愛だ」って瞬間が訪れたとき、僕の場合はやっぱり音楽が流れることが多い。そんな時はいい作品作らなきゃ、と決意する。







2015年1月23日金曜日

久しぶりのラママです

でかいこと

言うのは慎む文化やね

でもたまには日頃思ってることを出さないと
どんな立場にいても。

僕が見てる輝きは確かなもの。
それは君のことも幸せにできるんだよ。

信じて託してくれたらいいが、証明する手立てがないんだ。

空でも飛べたら分かりやすいんだけど。それは無理だから、地べた這いつくばって今日もせっせと生きていますよ。



2015年1月16日金曜日

今、家に帰るバスの中です


いきなりだけどこの間スペシャに用事があって。
色んな人に会えて声をかけてもらった。
次の日はディスクガレージで打ち合わせをして。

思えば東京で音楽を10年間やって、たくさんの人に認めてもらってお世話になった。

その一人一人が大切で、改めて感謝したい。

音楽やるために福岡から出てきた。
自分だけが知ってる音楽の美しさを認められたかった。
実家の、あの部屋で書いていた歌を。

知之の、 誰より愛を込めて という曲を聴いたとき 「これだ」と思った。

心から伝えたいことは単純なものだ。真ん中にある想いを、忘れたくないと思う。



2015年1月14日水曜日

オーシャンゼリゼ

新たに風刺画を掲載した新聞社について批判的な意見をたくさん見たけど、他人の表現にそんなにグラグラしちゃうものなのか信仰って。
見なきゃいいよね。
僕らの、小さな世間で生きる感覚とは違いそう。神と対峙してるんだよ。

もちろんイスラム教徒ならいい気持ちはしないだろうけど、街を歩いて人と話して、いつでも爽やかにはいられないもの。
あの新聞社はキリスト教批判もしていたらしい。彼らが宗教のない世界を望んでいるとして、反対にイスラム教徒がどんなに布教活動しようと、それも表現の自由で許されているわけだ。新聞社の行為がおかしいと思わない。

それでテロをしてくる過激派とかいうやつらは狂人だから。なにか理由をつけて殺すよ、どっちにしろ。誰かを傷つけて自分を感じたいんだ。
人間ってそういうところがある。
またやるよ。

実際、フランスのテロばかり注目されてるけど、いろんなとこでずっと殺し続けてるから。
北朝鮮の強制収容所や中国共産党のチベット虐殺も同じ。日本の犯罪者も同じ。

彼らには他者は見えていないのだから。



2015年1月8日木曜日

風刺されて、怒り狂って虐殺したやつら。
お前らの信仰なんてその程度のものなんだよ。

不安でしかたないんだよな。
あんたの神を信じられないんだろ。
だから外野の声が気になってしかたない。
自分たちを正当化できなくなってる証拠なんだよ。

あんたたちどこいくんだろうね。

2015年1月2日金曜日

あけまして

おめでとう!

今日は地元をぐるぐるした。
マーニー、徹、森、たか、まちゃき、りょうた、おやじ

みんなのお家のかたにお酒とおせちをいただいた。

それに蓮小の校舎とグラウンド
警備の方

ありがとうございました。

…のみすぎた。